新しくこちらにブログを作ろうと思ってから、
ずっと『昭和を語る部屋』が欲しかったのです。
アラサー・アラフォーの人たちには申し訳ないけど
あらふぃふ.netとしては、熱く熱く~昭和を語りたいと思います。

=====記念の昭和第一弾の記事はこちら=====

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昨日、エレクトーン少女時代を一緒に戦った友だちから
涙が出そうなほど懐かしい動画をシェアしてもらいました。
『NewYork Passion Street』

憧れだった松田昌さん【ブログ】~懐かし♪

この曲をフルベースで弾くことが一番の目標でした。
カッコイイ曲ですもん。
みんなで競って練習したのを覚えています。
しかも、この動画のエレクトーンはHXかな?←一番苦手だった機種
※訂正※ELXでした
フロッピーがたくさん置いてあって、これも昭和ポイント高いw

今は物置になっているエレクトーンだけど、今すぐ弾きたくなったよ。
今すぐ→明日→部屋を片付けてから→楽譜を買ってから→いつか、、、この流れが容易に想像できるけど。
パッションはあるんだけど、体力がついていかない(苦笑)

とにかくエレクトーン好きだった。
6歳の6月に習い事を始めると良いと言うので、
その前から、母に連れられていくつかの習い事の見学に行ったことを思い出すなぁ。
そして、お家でピアノとエレクトーンを教えていた先生のところに行って
どっちがいい?と聞かれ、エレクトーンと即答したことはいまだに覚えています。

フォリオという教材から始めたけど、案外早く挫折しそうになった。
いきなりコードとベースですから~
そして、先生は厳しい。もちろん、母も父も練習に関しては厳しくて、
毎日1時間やってました。
一回練習をサボった日があって、遊びから帰るとエレクトーンにカギをかけられてしまいました。
あ、エレクトーンにカギがあったのも昭和ポイントよ。

一生懸命練習した甲斐があって、小学低学年のころには
『特技はエレクトーンです』と言えるくらいになりました。
ビートルズとかカーペンターズとか映画音楽をたくさん弾いていて、
どの子も知っているのかと思ったら、当時としては珍しい小学生だったと思います。

楽器もはじめから先生のと同じものを与えてくれて、
惜しむことなく、音楽をする環境を整えてくれた両親に感謝しています。

松田昌さんの話に戻るけど、
私たちが熱心に弾いていたのはFX-20という機種の時代です。
その後のHS (HX)の機種になったら、リズムも自分で打ち込むことになったりして
後から思うと、あれが苦労の始まりでした。リズム作らなきゃ弾けない(-_-;)
それでも~松田昌さんの『Tea For Two』というアレンジがカッコよかったから
頑張ってレジスト作りましたとも。
(しばらくして、レジスト情報は購入するものになりました、ホッ)
その後、『道』という曲を発表されて~それからは記憶なし。
松田昌さん、何故かピアニカに夢中になられまして
即興の課題の作曲者ということ以外には、お名前を見ることがなくなってきたのでした。
私自身その頃は、自分の楽しみのためにエレクトーンを弾くことはなくなって
お仕事として弾いていたので、プレイヤー情報に疎くなっていたこともありましたね。
だから実際30年近く経ってからの『NewYork Passion Street』は懐かしすぎて~泣ける。
この動画見て1回目から全部歌えた。脳のどこかに覚えていたのね。

もし私がボケたら、この曲聴かせてみてくださいW、、、記憶が蘇るかも?